羽田雅一の「One&Only」探訪記

暮らしの「当たり前」を支える不凍栓に宿る誠実さ
進むべき道は「使う身になって」の先にある「変化創造業」

2026.04.02

対談
#DX #ものづくり

水道のない冬の朝を想像したことがあるだろうか。蛇口をひねっても水は出ず、凍りついた管がやがて破裂する——。寒冷地に暮らす人々は、その不安と隣り合わせで暮らしていた。その不安を解消し、水道が使える暮らしの「当たり前」を静かに守り続けてきた企業が、長野県にある。
株式会社竹村製作所。不凍栓を中核に据えて水環境に関する装置、設備のメーカーとして75年を歩んできた。2024年に代表取締役に就任した竹村勝年氏は、創業者が残した「使う身になって」という言葉を手がかりに、製品開発から組織変革へと、その思想の射程を広げようとしている。ビジネスエンジニアリング(B-EN-G)社長の羽田雅一が長野を訪ね、その根にある思想をたどった。

地中に埋まる製品が、冬の生活を支えている

羽田が「子供の頃、母方の郷里である山形では蛇口からチョロチョロ水を出しっぱなしにしていた。閉めると親にひどく怒られた」と話すと、竹村氏は笑いながら応じた。「閉めると凍ってしまいますからね。山形なら、きっと弊社の製品をお使いいただいていると思います」
不凍栓とは、寒冷地の配管に設置し、冬場の凍結・破裂を防ぐ装置だ。ハンドルを回すと地中深くで水が止まり、管内の残水が自然に抜けて凍結を防ぐ。設置されれば地中に埋まり、普段は目に触れない。しかし機能しなければ、冬の生活が止まる。
難しいのは、寒冷地が一様ではないことだ。凍結深度は地域の気温によって異なり、長野と東北では大きく変わる。北海道に至っては、本州とは止水の技術体系そのものが違う。本州では弁体を板状の部品で押さえて水を止める「板弁」を利用した方式が主流だが、北海道ではゴム製のリング(Oリング)で水の流れを変える方式が根付いている。寒さの程度の問題ではなく、地域ごとに技術のオリジンが異なる。「北海道で寒さが厳しいからというわけではなく、技術が生まれたオリジンが違います。地域性がまだ残っています」

竹村製作所_工場見学_製品説明竹村製作所は新しい地域に展開するたびに各地の違いに直面し、失敗を重ねながら製品を改良してきた。「ある地域で通用した製品が、隣の地域では水質や土壌など環境の違いにより、通用しないことはあります。ただ、その繰り返しの中で、ノウハウが積み上がってきました。今では、どのような地域でも使える汎用性の高い製品も出来上がりつつあります」他社が容易に追いつけない競争力は、このような地道な努力の蓄積の上にある。品目件数約2万3千件、部品構成を示す部品表(BOM)は約7万2千件にのぼる。この製品群の厚みは、75年分の地域との向き合いそのものだ。

「使う身になって」——見えない製品ほど、誠実に

竹村勝年社長_インタビュー竹村製作所のものづくりの中心には、創業者が残した「使う身になって」という言葉がある。「創業者の言った『使う身になって』の後に続く言葉がないことも、理由があると考えています。使う身になって『ものを作る』だけではなく、使う身になって『物事を捉えよう』という意識が、私の中での会社の理念になっています。製品の取付工事を行う施工会社、エンドユーザーなど使う方を想像し、その声に耳を傾けながら製品を作ってきたからこそ、シェアを取れてきました」

地中に埋まる不凍栓は、一度設置すると容易には交換できない。だからこそ同社は、地上から見える部分だけで修理・部品交換ができる構造にこだわり続けてきた。「壊れない製品」ではなく「何かあったとき、使い手が困らない製品」を作る。10年・15年・20年と使われることを前提に設計する。見えないからこそ、誠実に——その思想は、すべての事業領域に通底している。
竹村製作所の事業は不凍栓にとどまらない。エクステリア向け水栓柱と水環境装置などの領域を展開しているが、いずれも「狙って進出した」わけではなかった。
「エクステリア業界への進出は、展示会への出展をきっかけに取引先から声をかけていただき、担当者の『やってみたい』という思いが参入の原動力になりました。私たちの技術・ノウハウを活かしたエクステリア製品が求められていると知り、驚きました」
寒冷地向けに作り込んできた製品の堅牢さは、エクステリア業界の水準を超えていた。試作品への指摘を一つひとつ受け止め、「こんなにやってくれるのか」という驚きが、やがて信頼へとつながった。水環境事業も同様だ。創業者が発明・特許取得した「五方弁」という流体制御の技術が、不凍栓にも循環ろ過装置にも同じように流れている。どの事業でも「使う身になって」という軸と技術の核は揺るがない。

想定外の事業承継

竹村勝年社長_インタビュー竹村氏は、次男であったこともあり、2016年頃までは家業とは異なる領域で全く別のキャリアを形成していたが、2018年に事業承継のため入社することとなった。「はじめは、『なぜ私が?』という感じでした」と当時を笑って振り返る竹村氏は、経営企画室長という肩書で入社した。

最初に感じたのは、思いがけない「自由さ」だった。「こんなに自由な会社があるんだと感じました。父が人に任せる主義、チャレンジを応援する社風でしたので、権限移譲がかなり進んでいました」誰もが社長の前で自由に発言できる雰囲気は、確かに珍しい。しかし自由の裏には、外から来た目にしか見えない問題もあった。「一方で、部門ごとにあらゆる物事が分断されており、全社で同じ方向を見ることができていませんでした。加えて、国内トップとして安定した市場を走り続けてきたことが、視野を内向きにしていました。新しいことへのチャレンジに対しても、当時の事業環境や成功モデルを前提とした議論が中心となり、結果として大きな変化にはつながりにくい状況でした」
長くトップを走ってきた安定が、組織を内向きにしていた。部門ごとに最適化された業務フロー、乱立するExcel管理——「全体最適で議論できる組織とはいいがたい」竹村氏は当時の状況をそう振り返る。
経営企画室長として6年間、「全社最適を阻害していた構造的な欠陥を是正する」仕事を続けた。データを整え、部門をつなぎ、議論の土台を作る。その積み重ねが、社長就任と同時に動かした変革の確信になった。「システムを変えることが目的ではない。それを通じて組織を変える」外から入ったからこそ持てた視点だった。

守りの安定より、変化を創る覚悟

不凍栓の市場は、人口減少・住宅着工件数の減少とともに緩やかに縮小している。規制緩和により設置数の基準が変わり、競争も激化している。竹村氏は「寒冷地市場の縮小は激しく、極めて厳しい状況にある」と率直に語る。しかし同社は守りに入るつもりはない。長年の市場トップという地位に頼るのではなく、いかに価値を広げるかを問い続けている。
75年かけて蓄積した技術と信頼を、国内の非寒冷地へ、そしていずれはグローバルへ。「私たちが持つ流体制御及び凍結防止で培ってきた技術は、海外でも必ず役に立つ」——その言葉には根拠がある。地域ごとの失敗と学習を積み重ねてきた技術の蓄積は、新しい市場に入っても同じように機能するはずだという確信だ。
竹村氏が就任と同時にパーパスを「水とともにゆたかな社会を創造する」、ミッションを「製造業から変化創造業へ」と刷新したのは、その意志の表明だった。
「不凍栓は、冬の寒冷地に住んでいる方の当たり前の生活を支えてきました。これからは、さらに広く地域や社会の課題に対応できる存在になっていくべきだと考えて変えました」

羽田雅一社長_インタビュー「製造業から変化創造業へ」という言葉を聞いたとき、羽田には思い当たることがあった。B-EN-Gも、パーパスに「世の中に創造業を増やす」という言葉を掲げ、製造業を支えるITの会社という位置づけを超えて「創造業」という言葉への刷新を模索していた。モノやサービスを作るだけではなく、新たな価値を創っていく——という感覚が、二人の間で共鳴した。「B-EN-Gも創造業という言葉にたどり着いた」と羽田が応じると、竹村氏は静かにうなずいた。業種も立場も違う両社は、同じ言葉に行き着いていた。ものづくりへの向き合い方が異なっても、たどり着くゴールは重なっていた。

理念と変革を糧に、未来を創造する

攻めの経営へ舵を切るには、組織そのものを変える必要があった。外から入った6年間で見えていた「部門の壁」と「データの分散」——製品別の原価は正確に把握できず、在庫配置は各支店の経験則に頼り、業務はExcelと属人的な判断に依存していた。これでは全社で同じ土俵に立てない。
竹村氏が選んだのは、「現在稼働しているシステムを一旦破棄して、業務ごと新たに仕組みを作り直す」という手段だった。部分改善ではなく、全体をゼロリセットする。その抵抗を逆に利用して、組織を変容させる。製造業向けクラウドERPのmcframe Xを国内で初めて採用したのも、進化し続けるプラットフォームを変革の土台にするという判断からだ。ERPの標準プロセスに合わせることを方針として明文化し、「今まではこうだった」という個別最適の論理を封じた。
「システムを入れることがゴールではなく、これを通じて現場が主体性を持ち、全体最適で議論ができる組織に変えたかったんです」
プロジェクトの中心には次世代リーダー候補を据え、部門間の調整を担わせた。変革と人材育成を同時に進める設計だった。結果として、それは竹村氏自身の成長の場にもなった。「あるべき論やロジックだけでは人は動かない。前提と情報をそろえることが相互理解の第一歩だと気づいてからは、私が自ら現場に入り、一人ひとりの話を聞くようにしました」——その実践が、組織を少しずつ動かしていった。「終わりのない改革だと思っていますが、土台はできました」竹村氏がそう語る言葉に、重苦しさはなかった。
変革が生んだのは、業務の効率化だけではなかった。竹村氏がこのプロジェクトを通じて実現したかったことがもう一つある。社員が「学べば、できることが増えてくる」という感覚を持てる組織にすることだ。
その象徴が、現場でのAI外観検査装置の自前開発だ。ITの専門教育を受けたわけではない製造現場のメンバーが、自らAI検査装置を開発した。「検査が自動化されれば、人を配置する必要がなくなる。そうなれば自動搬送もできる。工程間も自動化され、スマートファクトリーに近づいていく」——一つの学びが、次の変化を呼ぶ。そんな連鎖がすでに始まっている。

竹村製作所_工場見学の様子「学ぶ機会を与えて後押しすることで、『学べば、できることが増えてくる』というカルチャーになっていくと考えています」と竹村氏は語る。羽田も「学びから、人は変わる」と応じた。
創業からの資産である「使う身になって」という理念と磨き続けた技術力に、全体最適で動ける組織風土と学習する文化を掛け合わせる——竹村氏が描く「変化創造業」への道筋は、そうして切り拓かれていく。75年間「使う身になって」を貫いてきた会社に、改革が終わる理由はない。判断の基準が揺るがない限り、変革は続けられる。それこそが、竹村製作所という会社の強さの本質ではないだろうか。

【REPORT】羽田雅一の取材ノートから

今回は長野県長野市にある株式会社竹村製作所様を訪問し、竹村勝年社長に同社の沿革や特徴、デジタル化への取り組みをお聞きしました。併せて本社工場を見学して、現場主導のデジタル化活動を垣間見ることができました。以下に印象に残ったポイントを挙げてみたいと思います。

企業の特徴を活かしながら変革を進める

竹村勝年社長と羽田雅一社長_対談の様子同社の特徴として「創業家が経営者を務める中堅企業」としてはなかなかお目にかかれない、自由で風通しの良い社風が挙げられると思います。B-EN-Gのメンバーからも、プロジェクト遂行時には、職位にとらわれない活発な議論が行われたことを聞きました。創業家の一員として、全く違うキャリアから転職された「若き社長」が、自分よりキャリアの長いベテランの方々に囲まれながら、どのように会社を変革していくのか。これほど難しい立場で変革を進められたことに、率直に敬意を覚えます。
竹村社長が選ばれたのは、「mcframe Xをモデルに、同社の業務を一から見直す」という手法でした。製造業のサプライチェーン(生産管理)は業種ごとの違いが大きく、標準化が難しかった領域です。そこに30年に渡る日本の製造業のフィードバックを受けて、新たに生まれたSaaS製品"mcframe X"の設計思想が、竹村社長の変革の方針と一致しました。トップが掛け声だけで現場に委ねてしまうプロジェクトも少なくないなか、実際にプロジェクト現場の会議に参画して、社員と膝を突き合わせて悩まれている竹村社長の姿が、とても印象的でした。

中堅・中小企業のデジタル化

竹村製作所_工場内AI検査システムの稼働の様子また、今回の取材で改めて感じたことは、「デジタル化の実現可否は企業規模ではない」という点です。中堅・中小企業の経営者の方からは、「DXと言われても当社にはデジタル人材がいない」という声をよくお聞きします。実際に同社においてもプロジェクト開始時には、ITの経験者はごく僅かでした。中堅・若手を抜擢して、「プロジェクトを通じて自分も含めて皆が成長していった」という竹村社長の言葉に、中堅・中小企業のデジタル化を考える上で、大切な示唆が込められていると感じました。工場見学の際にも、通常は現場で作業をされている方が、AIを活用して作成した検査システムが稼働しており、思わず目を見張りました。

日本では「デジタル人材がいない」とよく言われますが、若手やこれから入社してくる社員は皆、「デジタルネイティブ世代」です。今後は「経営者がいかにデジタル化の場を作ることができるか」が、企業の未来を左右する。そう確信した取材となりました。

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